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Perspectives
A Dialogue with Yojiro Imasaka

Perspectives — A Dialogue with Yojiro Imasaka

Photo:Yuto Kudo

ニューヨーク、ブルックリンのイーストウィリアムズバーグ。赤レンガの建物が立ち並ぶ工業地帯のようなエリアで至る所にグラフィティが描かれている。スタジオやアートギャラリーなどが集まるこの地に日本からアメリカへ渡ったアーティスト、『今坂 庸二朗』のアトリエがある。今坂氏は広島で生まれ、日本大学芸術学部を卒業し、2007年に渡米。以来、写真を主なメディアとするアーティストとして活動、近年はガラスネガを用いた湿板写真を中心に作品を制作・発表している。

今坂氏はデジタル全盛のこの時代に、8×10の大きなカメラ、薄さ約1mmという極めて繊細なガラス板と薬品、移動式の暗室を携え、自然風景を求めて世界各地を巡っている。湿板写真は綺麗に洗浄されたガラス板の薬品によるコーティング、感光といったプロセスを経て、ようやく撮影に至る。撮影後も間髪入れずに暗室へとガラス板を持ち込み現像、定着といった工程を極めて短い時間の中で完結させる必要がある。撮影には熟練された技術と経験、薬品を扱う化学の知識が不可欠だ。

気温や湿度、光量など様々な環境条件によって浮かび上がるイメージは大きく左右される。今坂氏が作品制作の場とする自然環境においては、どれだけ熟練度が高まってもそのコントロールは更に難しいものとなる。それでも湿板写真という手法で自然環境を被写体に活動するのには「時代を超えて残るものを作る」という強い意志があるからだ。常に自問自答を繰り返し、妥協しない。彼の言葉には、デジタル全盛の時代だからこそ大切にすべきものづくりの姿勢が貫かれている。

トレンドや流行のスピードが著しく早い現代社会において「本物性」や「価値」の概念は薄まってきているように見える。しかし同時に、揺り戻しが起きており人々はそれに気づき始めている。パンデミックを経て、彼は湿板写真という表現にも手を伸ばした。Eメールではなく手紙を書くように、時間をかけた密度の濃いものづくり。人間が一番アナログな存在だからこそ、フィジカルなコネクションにはデジタルでは伝わらない何かがある。

私たちもまた、手を動かし、時間をかけて、一着一着に思いを込めてきた。一過性で終わらない時間というフィルターを通してもなお残り続けるもの。今坂さんとの対話は、ものづくりの原点を思い出させてくれるものだった。

自分に嘘はつけない

NN:活動において最も大切にしている原則や理念を教えてください。

今坂さん:時代を超えて残るものを作ること。それを念頭に常に自問自答を繰り返し、妥協しないことです。

そして、伝えたいことを写真を通してどうメッセージとして届けるか。そこに思考を巡らせることが作品づくりにおける大事な最初のプロセスになります。

そもそも私は商業的な写真は一切撮らないので、クライアントというものがいません。クライアントがいれば、誰かのために撮るわけですから、クライアントがオッケーと言えばオッケーですよね。それとは全く真逆で、自分が納得できるかどうかで全てが変わってきます。必然的に自問自答する時間が多くなる。それに妥協もできない。自分自身がクライアントなので嘘をつくとすぐにばれる。時代を超えて残るものを作れているか、自分に問いただしながら制作することを大事にしています。

NN:制作の時間の多くは、何をしているのですか?

今坂さん:よく聞かれるのですが、実は一番長いのは、頭の中で考えている時間です。
自問自答を繰り返しながら、一度思考をクリアにして、自分が何を伝えたいのかを見つめ直します。
撮影や制作の時間よりも、作品の本質について考え続けることに、多くの時間を費やしています。
その上で、自分が伝えたいことを最も適切に表現できる技術を磨き、写真に関わる薬品の調合などについても、常に新しい知識を取り入れるようにしています。

NN:作品にはどんなメッセージ性があるのでしょうか。

今坂さん:私は主にランドスケープ、つまり自然の風景を撮影しています。
よく「それなら人間にはあまり興味がないんですね」と言われるのですが、実際はその逆です。私はランドスケープを通して、人間の存在——私たちの歴史や文化、そしてそこから立ち上がってくる未来の姿——を表現したいと考えています。
自然は、私たち自身の存在を俯瞰して捉えるための、とても有効な物差しだと思っています。

時間というフィルターを通しても残るもの

NN:今坂さんにとって「価値」とは何でしょうか。

今坂さん:時間というフィルターを通してもなお残るもの。それが価値だと思います。
アートにおいて、自分が作る作品の価値は一言では言いづらいところがあるのですが、私にとっての価値は、いかに後世に残していくかということだと思います。この時代に、この社会をこういうふうに見ていた人がいるんだよ、ということを残していく。100年後とか200年後、こういう見方があったよ、こういう見方をしていた人がいたよ、というのを自分の写真を通して表現できたらいいなと思っています。

NN:価値は誰が決めるものだと思いますか?

今坂さん:すごく難しい質問ですね。私は写真がすごく好きですし、写真を通して見るこの世界にすごく価値があると思っています。私の目も反映されますが、私の目が人の目になることもあり得ます。そこで少しでも共感がクロスオーバーして、オーバーラップするところがあれば、それは一つの価値になる。自己満足だけでは終わらない。私が決めることでもありますし、他人が決めること、見る人が決めることでもあり、みんなで一緒に決めることでもあるのかなと思います。

NN:アートの世界では、価値とお金の関係性も気になるところです。

今坂さん:いくつか切り口はあると思うのですが、もちろん誰かが価値を決める、ルールメーカーがいてその人たちがお金に変えることもあります。でもそれとは別に、記録に残るもの、記憶に残るものとしての価値もあります。そういった意味で、私は美術館というところをすごく大事にしています。いくつかの美術館に作品を収蔵してもらっていますが、後世に伝えてくれる場所に自分の作品がある。パブリックな場所に作品が残ることを大事にしています。お金の話は当然、避けては通れません。アーティストとしてやっていますが、お金がなかったら家賃も払えませんし、制作することさえできなくなります。ただ、それは全く別のチャンネルという感じでしょうか。

独自性は、その人自身の中にある

NN:「独自性」についてどう考えていますか?

今坂さん:独自性をもたらす要素の一つは生まれ育ったバックグラウンドだと思います。それを土台に常にアップデートされ、上積みされる日々の経験がユニークさにつながっていきます。

アートではあえて面白いことをやってやろうとか、人と違うことをやってやろうとする人も多いですし、やろうと思えばできると思うのですが、究極的には、もう本当にその人自身なのですよね。みんなバックグラウンドは違いますから。あまり深く考える必要もない部分もあって、その人独自のものは、その人がすでに持っているのでそこにいかに気づくかが大事です。

それが実はニューヨークにいる一つの理由でもあって、いろんなバックグラウンドを持っている人がいて、その人たちがいるから、自分のことも鏡のように見えるわけです。自分が育ってきた環境だったり、見てきたもの、感じたもの、それを表現することが独自性につながると思います。

人間が一番アナログな存在

NN:湿板写真を始めたきっかけは何だったのでしょうか。

今坂さん:大学の時にそういうクラスもあったのですが、全く興味がなくて、絶対一生やらないだろうなと思っていました。でもパンデミックの直前くらいから、自分の表現とは何だろうとすごく自問自答していた時に、湿板写真だったら自分が表現したいことがうまくできるのではないかと思って始めました。

パンデミックの時のズーム飲みは、すごく面白い経験でした。不自然で違和感がありました。それで気づいたのです。人間が一番アナログな存在なのだと。iPhoneなどの家電製品は最新のモデルではバッテリーの持ちが長くなりましたとか言いますが、人間は絶対に寝なければいけませんし、ご飯を食べなければ動きません。超アナログなのに、周りの機材ばかりがアップデートされていって、私たち自身は変わらないわけです。

その変わらないということに気づいた時に、人間が本来持っている身体的なつながりや感情のやり取りが、いかに重要かを改めて感じました。だから自分がやっている湿板写真は、Eメールと手書きの手紙の違いと同じで、本当に伝えたいことがある時には、時間をかけて紡ぐものだと思うのです。それは絶対に完璧ではありません。人間が完璧ではないからです。書き損じもありますし、文法を間違うこともあります。でもそういう不完全さがすごく大事です。まっさらな紙の前にペンを持って考えた時、絶対にその手紙を受け取る人のことを考えているわけです。作ったものを見てもらう人に、どうやったらうまく伝えられるだろうという時間がすごく大事だと思います。

揺り戻しが起きている

NN:デジタル全盛の時代に、「本物性」や「価値」の概念は変化していると感じますか?

今坂さん:トレンドや流行が早くなっている現代社会において、それらの概念は元々の意味から薄まってきているように感じます。同時に揺り戻しが起きており、人々はそれに気づき始めているように見えています。

拒否するだけとか、新しいものがダメという頭でっかちな考え方は、間違っていると思います。人間ですから新しいものをどんどん作りますし、どんどん便利にしようとする。新しいものを受け入れていく姿勢はすごく大事です。でも同時に、人間自体が一番アナログですから、人間が人間である以上はアナログなアプローチで伝わるものがあります。

感覚としてはデジタルが進めば進むほど、湿板写真のような超アナログなものがカウンターとして、より価値が出てくると思います。そのバランスをうまく取っていくことが、この時代にはすごく大事なのかもしれません。

私もiPhoneの新しいものが出ると見るようにしています。今レンズはこんなにきれいになっているのだとか、動画はもう映画が撮れるじゃないですか。そういう時代です。だけど同時に古いものを使うと味があるのも事実で、その「味とは何なのか?」という問いをみんなが考えているところが面白いと思います。そこも大事ですよね、と。ただ新しい機材を否定はできません。でも私にとって必要なこととは違うかなと思います。興味を持ったものがたまたま古いものだったというだけです。

時間というフィルターがさらに大切になる

NN:この先の時代に、残していきたい、紡いでいきたい文化とは何でしょうか。

今坂さん:様々な事象が目まぐるしく変わっていく現代社会においては、時間というフィルターがさらに大切になってきていると感じています。

例えば最新技術を用いたモノやコトは、そのトレンドと相まって私たちの生活を便利にそして豊かにしてくれており、それを否定する気はありません。ただ、自分たちの生活の中で長く使用しているものや、持っているもの、身に付けているものには、アートやファッションに限らず必ず理由があると思います。個人的な思い入れはもちろんですが、同時に質の良さであったり、自分が大切にしている、または共感できる考えやアイデア、コンセプトを時代を超えて表現しているモノが多いと思います。

人に伝えるためには、相手のことを見なければいけないと思います。それは相手も人間なのだということを考えないと、誰に対してメッセージを伝えようとしているのかを忘れた瞬間に迷子になってしまいます。
不便さや不完全さの中にある、温かみのようなもの。「神は細部に宿る」と言いますが、それは本当にそうだと思います。人が気持ちを込めて作ったものや、すごく考えて作ったものは、人が見た時、触った時、食べた時、聞いた時に、すごく感動します。

アナログとは言いたくないのですが、人と人との繋がりは、絶対に忘れてはいけないと思います。それがいい意味でも、パンデミックですごく思い出させられました。

一過性で終わらない、時間というフィルターを通してもなお残り続けるモノが、この時代においてさらに大切な価値であり、本物性だと思います。そしてそのようなものづくりの文化は、次世代に紡ぎ残していくべきだと思っています。

Yojiro Imasaka  今坂 庸⼆朗

1983年広島県生まれ。
日本大学芸術学部卒業後、渡米し、ニューヨークのプラット・インスティテュートにてMFAを取得。現在はブルックリンを拠点に活動。19世紀の写真技法である湿板写真(コロジオンプロセス)を用い、ガラスに像を定着させる独自の表現を展開。時間や記憶の層を可視化する作品を制作している。欧米を中心に個展およびグループ展を多数開催。近年は日本国内でも活動の幅を広げている。作品はアメリカを中心に主要な美術館に収蔵されている。
yojiroimasaka.com