
SPRING / SUMMER 25

触覚は五感の中でも最も原始的な感覚といわれています。触覚によって圧力や温度、質感を感じることができるし、皮膚全体でそれらを感知したのちに、快や不快といった感情を誘発する装置ともなりえます。とりわけ人の手のひらや指先は、さまざまなものを識別したり操作したり、あるいはその手から何かを創造したりすることができますね。今目の前にあるガラスのコップも、陶器のお皿も、テーブルクロスに使っている布だってもともとは人が手を使って生んでいるものと言って差し支えないでしょう。飾られている絵だって、誰かが絵筆を操って描き上げたものだし、大切な人へ宛てた手紙の一文も、誰かの手が一生懸命にその思いを文字にして可視化させています。
しかし現代は、手を使って文字を書かずともデバイスに話しかければ言葉は文字になって表示されますし(他の言語にすら翻訳できてしまいますね)、切ったり縫ったり編んだり貼り付けたりは、全て専用の機械に任せておけば全く手を用いずとも早く正確に望む形を具現化することができてしまいます。誰もが均等に一定以上のレベルの表現をすることが可能な世界は便利な一方で、その便利さゆえに人の手先はどんどんと自らの触覚を鈍らせていってしまっているのではないでしょうか。ものを撫でて感じることができるざらざらとした質感やごつごつやさらさらやべたべただって全部、手の触覚が私たちに伝えてくれている世界そのもののはずなのに、触れる全てがつるつるとしたなにかに画一化されてしまっているような世界では、触覚の精巧さはあまり重要ではなくなっていってしまうような気がしてしまいます。



NICENESSのレザーウェアは、ブランドが始まった当初からずっと一人の職人が、その手で、縫製から仕上げを行なっています。ミシンを用いる部分も、ハンドステッチの部分も、全て一人の職人の手により縫われているのです。『目は口ほどに物を言う』といいますが、『手は口ほどに物を言う』?と、そんなことを感じずにはいられないほど、レザーウェアは紛れもなく“その人の顔”となって雄弁にその人の意思を語りかけてきます。他の機械が、あるいは他の誰かが仕上げたら全く違うものになってしまうと断言できるほどに。それはその人の手が持つ素晴らしい精緻な触覚だけが生み出すことのできる表現です。ユニークさを追求した単なるクラフトではなく、プロダクトとして破綻のない技術と美しさを共存させることのできるその手の存在を、僕たちは信じ続けています。


今シーズンはカバーオールジャケットをベビーカーフと墨染めしたカウレザーで、チョアジャケットをクリークディアで作りました。いずれも触覚を刺激する全く異なる質感の素晴らしいレザーです。カバーオールは通常ムートンなど厚みのあるレザーを縫い合わせるときに用いる特殊ミシン特有の縫い代のない縫い目、大きく目の飛んだハンドステッチをアクセントにしています。チョアジャケットは細くカットしたレザーをエッジに編み込んでもらっています。どちらもレザー職人の素晴らしい技術に触れていただけるプロダクトに仕上がりました。これからまた人の手に渡り、ゆっくりと長い年月をかけてその持ち主の日々の営みがレザーに経年変化として記憶されていくことでしょう。
