AUTUMN / WINTER 26
先日のパリ出張。連日続いたショールームを終えた翌日、ようやく少しだけ予定のない時間ができた。滞在期間の終盤、ホテルを馴染みのない7区へ移した。現地の友人に薦められたヴィンテージショップやアートギャラリー、気になっていたレストランが点在するエリアだった。特に予定は決めない。自由こそがショールームを無事にやり遂げた自分への、ささやかなご褒美だ。夏のパリは、東京とは少し光が違う。空気が乾いているせいなのか、太陽の存在をいつもより近くに感じる。建物の壁も、石畳も、公園の木々も、強い光を受けながら、くっきりとした輪郭を見せている。チェックインまでの時間潰しに、陽射しの中を歩いてホテルからほど近くにあるロダン美術館へ向かった。
翌日には、フォンダシオン・ルイ・ヴィトンで開催されていたアレクサンダー・カルダーの展示に足を運んだ。偶然ではあったが、二日続けて彫刻作品と向き合う時間になった。ロダンとカルダー。時代も素材も、作品のあり方もまったく異なる二人だが、展示を見終えたあと、不思議と共通して残った感覚があった。どちらの作品にも、余計な線がない。何かを足すことで存在感を生むのではなく、必要なものだけを残すことで、形そのものを際立たせている。ブロンズや鉄といった無機質な素材も、人の手を経ることで温度を帯び、光を受けるたびに異なる表情を見せていた。美術館をあとにして歩きながら、デザイナーがレザーサンダル「IRVINE」について話していた言葉を思い出した。


「サンダルを作るというより、サンダルの形をした革靴を作りたかった。」そのときは印象的な表現として受け止めていたが、二つの展示を見終えたあとでは、その言葉が妙に腑に落ちた。
一般的なレザーサンダルは、できるだけ軽く、できるだけ簡潔につくられる。けれど、この一足は少し違う。ウェルトを設け、コバを整え、ウィールと目付けによる仕上げを加えている。鼻緒は革で包んだコードを一本ずつ縫い合わせ、踵にはラムレザーで覆った伸縮性のあるコードを組み合わせている。履いてしまえば気づかれない部分も多い。それでも、その見えない工程の積み重ねによって、このサンダルには革靴のような静かな緊張感が生まれている。

目指したのはサンダルに革靴の装飾を加えることではない。革靴が長い時間をかけて育んできた構造や技術を、サンダルという最も削ぎ落とされた形へ置き換えることだった。制作中、デザイナーの傍らにはリチャード・セラの作品集が置かれていた。巨大な鉄板によって構成される彼の彫刻は、圧倒的な質量を持ちながら、ごく限られた線と面だけで空間そのものを変えてしまう。
情報を増やすのではなく、構造を研ぎ澄ますこと。装飾を施すのではなく、素材と形が持つ力を引き出すこと。その考え方は、革靴づくりにもどこか通じている。


目に見える意匠だけではなく、その形を支える構造にどれだけ時間を費やせるか。表には現れにくい仕事の積み重ねが、最後には一つの輪郭となって現れる。サンダルは、本来なら夏を象徴する履物である。しかし近年の気候を考えれば、その季節は以前よりも長くなった。重厚なコートやウールのトラウザーズに合わせ、足元だけを軽くする。そのわずかな余白によって、装い全体の印象は大きく変わる。ジャコメッティやピカソのアトリエ写真を見ると、彼らがサンダルやスリッパのような履物で制作をしている姿が残されている。制作に必要なのは、格式ではなく自由な身体だったのだろう。だから彼らにとってサンダルは、夏のための履物ではない。日々の創作を支える道具だった。
彫刻家の足元には、不思議とサンダルがよく似合う。大きな作品を生み出す人ほど、身体に最も近いものは驚くほど簡素である。そこには、余計なものを削ぎ落とした先にだけ宿る、静かな美しさがある。サンダルという最も自由な履物に、革靴が積み重ねてきた時間と技術を宿らせること。その発想は、どこか彫刻にも似ている。形を加えていくのではなく、本当に必要なものだけを残して。






























































